新年明けましておめでとうございます。
本日から社長ブログをスタートします。
ネクスト社のこと、HOME'S(ホームズ)事業のこと、経営視点、日々雑感など発信していきたいと考えています。
最初は少々長いけど、そもそも何故、僕 井上高志がこの会社を立ち上げようと考えたのか、その原点を書きたいと思います。
大学3年から4年の頃、「私は5年で会社を辞めて独立したい!」「それでも構わなければ採用して欲しい」と様々な会社の人事担当に話しながらの就職活動をしていました。21歳の時にすでに独立を考えていました。
最終的に大手の不動産会社に行くかリクルートコスモスに行くかという選択肢になった時に「大手で10年間下働きするより、若い会社で短期間で自分を成長させて独立に備えたい」と思ったので、リクルートコスモスに入社することを決めました。
その時点では具体的にどんなビジネスで起業するかは決まっていませんでしたが、時間軸で5年間を起業までのタイムリミットと考えました。そしてその5年間でどこまで自分自身を昇華できるか、自分と戦ってみようと考えました。
それというのも、それまでの人生があまりにもチャランポランで中途半端な人間だったので、その反動でこれからは「正しく」「かっこよく」「人の役に立つ」大きな事業を死ぬ気でやろうと決意したわけです。
91年にリクルートコスモスに入社して横浜支社に配属された私は、まずモデルルームで接客営業からスタートしました。田園都市線沿線で分譲されたそのマンションはバブルが弾けた直後と言っても3LDKのマンションで、7000万円もしていました。
そこで、たまたま私が接客したお客さんに若くて大変素敵な美男美女のご夫婦がいました。現地モデルルーム(実際に竣工済みの部屋)を見たとたん一目惚れで「この物件に決めたい!」と言ってくれたんです。
それまで散々たくさんのマンションを見て回ったけれども気に入る物件がなかったこの夫婦にとって、この物件は本当に理想としている住まいにめぐり合えたようで、とても嬉しそうで、接客している僕もつい嬉しくなってしまいました。
このご夫婦は共稼ぎのDINKS。
世帯年収もかなりあった。
しかし、結局は住宅ローンの審査が通らずに泣く泣く購入を断念するしかなかった。
その時は本当に残念そうだった・・。
この夫婦は自分たちの夢の城を購入するためにかなり沢山の物件を見て回っていたし、知識も私以上に豊富だった。一生に一度の買い物のために本気で探しているうち、一目惚れのようにこの物件を気に入ったのに、ローンが組めないということで断念せざるを得ず、非常に落胆していました。
そこで、私も心底かわいそうに思い、それからと言うものこの夫婦の夢をかなえる物件探しに奔走しました。当然自社分譲のマンションはオススメするものの、中古マンションで希望に合いそうなものも平行して探し、さらには他社の新築分譲マンションまで手を広げて探してあげました。
結論を先に言うと、このご夫婦は私の探してきた他社の新築分譲マンションの購入を決めました。当然上司からは怒られます。「オマエはリクルートコスモスの営業マンなのに何で他社のマンション売ってるんだ!」と。
ただ、その後この夫婦はわざわざモデルルームまで菓子折り持参で丁寧にお礼を言いに来てくれました。「このマンションを購入できなかったのは本当に残念だけど、井上さんのお陰でそれに代わるほど良い物件に巡り会うことができました。本当にありがとうございました」と。
だから上司に怒られながらも、私自身はすごく満足できた。
そのときのご夫婦の満足そうな笑顔がむちゃくちゃ良くて、今でも忘れられなくて、それがきっかけで今のHOME'S事業を立ち上げたようなものです。
このとき、ご夫婦のために一所懸命に物件を探していたわけですが、当時は物件情報がオープンになっていない面があり、大変苦労しました。情報がオープンじゃないから、お客さんは営業マンの言うことを信じるしかなかった。でも、それでは本当に理想とする住まいにめぐり合えない人もいるんじゃないか。それはとても不平等だし、残念な気がしました。だから日本全国の不動産情報が「全て」お客さんが自由に見ることができる情報インフラを創り出したいと、漠然と思ったのが当時、22歳のときでした。
日本の物件情報は100%HOME'Sが持ってる状態を作りたい。理想としては、HOME'Sを見て、自分の希望条件で検索した時に該当する物件が出てこなかったら、その条件に合う物件は「この日本には存在しない」と言い切れるだけの、インフラとデータベースを作りたい。そしてユーザーの視点にたった情報インフラを整備したい。つまり、「情報の非対称性」が解消されれば、より良い選択がしやすい環境にできると考えたわけです。
そうして1995年に独立をして、ネクストを創業することになりました。